「〜みたい」は直喩にあたる表現であり、「A ≈ 〜」みたいになる。みたいなことを考えたのだけれど、おおよそ等しい、みたいな意味を持つ数学記号の≈と、話者の主観的感覚に依存する「〜みたい」は、一致することはないじゃないか!と反論するみたいに考えを修正した。
では、「〜みたい」は話者の主観的感覚として確定するのかな?と思ったのだけれど、友人との会話を思い出した。

「羞恥心はパンツみたいなものなんだ。それを脱ぎ捨てなきゃダメなんだ」
僕は違和感なく、羞恥心はパンツみたいなものとして友人の話に共感した。つまり、友人の主観的感覚を僕が共感したことによってそれは、主観的感覚ではなくなった。「つまり「〜みたい」は主観的感覚ではないのだ」、がしかし、羞恥心はパンツではない。みたいに反芻している間「〜みたい」はずっと、腐敗ガスで膨張した金魚が水面にプカプカ浮かぶみたいに、頭の中から消えてくれないみたいだった。

 「みたいな感じで考えが重なっちゃうみたい」みたいなそれはいつまでも続いてしまうから、僕は外へ飛び出してから夕飯を買うためにスーパーへ向かった。まずは玄関を出て真っ直ぐ進むと、前方に見える十字路を右に曲がり、そのまま道なりに行けばセブンイレブンの「7」というロゴが現れたから、コンビニの外壁をなぞっていくみたいにT字路を左に曲がって、200mほど進むとスーパーへ着く。というふうにカーナビみたいにルートをシミュレーションしたから、あとはそれに従って歩いていけばいい。

まず僕は、十字路を右に曲がった。
頭の中でプカプカ浮かんでいる金魚は消えてくれないみたいで、むしろ時間が経つにつれてどんどん膨らんでいく。
どうやってケリをつけてやろうか。
道なりに行くとセブンイレブンの「7」というロゴは汚れていて「7。」みたいに右下に黒いゴミがついている。「なるほど、数字だと思っていた「7。」は、このように句読点が付いているから日本語であって、かつ7は文章の末端だったんだ。」みたいなセリフを僕は声にせず読み上げた。
コンビニの外壁をミニ四駆の両サイドについているベアリングで摩擦抵抗を最小限に抑えるみたいに曲線を描いて曲がった。
200mほど進むとスーパーへ着いた。

 もうとっくにキャパオーバーで、金魚はスイカみたいにまで膨らんでいるから、水槽の水はほぼ溢れ出た。
僕のおでこからは脂汗が噴き出ていて、水槽から溢れ出た水が、おでこから脂汗みたいに溢れているみたいだった。
「どうやら僕は「〜みたい」を使うと飛躍してしまって、収拾がつかないみたいだ。」僕は言った。「本当にそれは〜みたいなのか見定める必要があるよ」僕は言った。僕はイメージの接続範囲が広いのだろう。「どの側面が似ているのか?」を明示して、それ以外を切り捨てなければいけない。「〜みたい」という言葉が増幅しながら頭の中に浮かんでいる状態と、腐敗ガスで膨張した金魚が水面にプカプカ浮かんでいる状態は、膨らんでいて浮いている点が似ている。みたいなところで考えるの辞めれた。